青色LED訴訟について個人的に思うこと。
2004年1月31日執筆
2004年1月30日、青色LEDを発明した中村教授(現・カリフォルニア大学教授)に対して、
発明の対価600億円のうち、200億円の支払いを命じる判決が下された。
まことにふざけた判決だと思う。
こういう判決を出すほうも出すほうなら、こんな訴訟を起こすほうも起こすほうである。
いや、むしろ、こんな訴訟を起こすほうが悪い。
裁判所は、法に従って判決を出しただけである。たとえそれが世界的に不利益になるような判決であろうと、
裁判官は法に則した判決を出さなければならない。だから、裁判所に罪はない。
やはり、問題なのは600億円という滅茶苦茶な値段を、後先考えずに吹っかけた、原告側であろう。
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原告側の主張では、青色LEDは世紀の大発明であり、売上から考えて600億円の価値がある。だから、
会社側はその対価を支払うのが当然であり、それを受け取るのは開発者にとって当然の義務だと言い張っている。
たしかに、青色LEDは素晴らしい発明である。
青色LEDが無ければ、難波の巨大スクリーンは存在していないし、駅の電光掲示板がカラフルになる事も無かっただろう。
そして、発明をした者がその対価を受け取るべき‥‥その考えも十分に理解できる。
小説や音楽CDに印税が支払われるように、やはり発明者にはそれなりの報酬があるべきであろう。
少なくとも、今回の事例のように、2万円で済ませて良いはずがない。もしも発明家の利益が保障されていなければ、
今後会社で発明をしようという者は、ほとんど居なくなってしまうだろう。
しかし、それを加味したとしても、600億円は高すぎると思う。
発明者には、プロ野球選手よりも高額の報酬を受け取る権利がある。というのが原告の主張であり、600億円という額も
それに起因しているらしい。
しかし、報酬というものは、決して仕事の偉大さに比例して与えられるものではない。
例えばアルバイト情報誌を開くと、色んな時給額のバイトがある。
しかし、果たしてそれが、仕事の忙しさに比例して付けられているのかというと、そんな事はない。
ものすごく忙しいのに安月給、というバイトは山ほどあるし、かなりヒマなのに時給が高い、というバイトもある。
さらに、同じ仕事でも、奈良県では645円、大阪府では695円、という格差がある場合も、多々ある。
住んでる場所が違うだけで、報酬の額が変わる。それが現実である。いくらプロ野球選手が10億円稼いでいるからと言って、
それ以上の額を求めるのは、現実を見ずに理想のみを求める、ただの自分勝手なワガママであろう。
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そして、それ以上の大きな問題が、この訴訟には存在している。
200億円である。そんな額を請求されれば、いくら日亜化学といえども、経営の危機に陥るであろう。
そんな高額の損失を出した企業が、今後もこのままやっていける保証はない。
今、日亜化学の経営がどうなっているのかは知らないが、最悪、会社がつぶれる可能性もある。
新聞にもそのような見解が出ていたので、あり得ない話ではないだろう。
仮に倒産を免れたとしても、場合によっては事業縮小を行わなければならない可能性だってある。
原告側は、会社がつぶれるとか、そんな事よりも、発明家の利益が保障される事のほうが、文化的にプラスになると
主張している。
つまり、裏を返せば、会社が倒産しようが、そんな事は知ったこっちゃ無い、という事である。
しかし、それは「会社」を利益集団としか見ていない、間違った考えだと思う。
なぜなら、会社という場所には、何人もの人間が働いているからである。
会社概要によると、日亜化学には、約3000人の人間がいるらしい。
仮に会社が潰れたとすると、3000人の従業員が路頭に迷うことになる。
ついでに、配偶者や子供も居るはずなので、その分もプラスして、最低でも6000人以上が路頭に迷う計算になる。
6000人である。しかもその中には、次世代を担う子供が多数含まれている。
日本を潰す気か? と私は思う。昨今、潰れる会社は後を絶たないが、1つ会社が潰れるたびに、沢山の人が不幸になる。
それは事実である。
日本の未来や、他人の迷惑なんかよりも、発明家の利益のほうが大事なのだろうか?
1人が600億円を手にし、一部の発明家の利益を保証するために、6000人もの人柱が捧げられるのである。
何様のつもりだろうか、と思う。
いくら世紀の大発明をしようが、いくら偉大な政治を行おうが、人柱や生贄を食うようでは駄目である。
フセイン大統領が良い例で、彼は多くの人に嫌われている。
イラク国内を統治してあげている報酬として、自分は贅を尽くし、多くの住民を苦しめる。
青色LEDを発明した代償として、自分たちの利益を保証し、関係の無い多数の人間を苦しめる。
‥‥やっている事は同じである。
その結果、フセイン大統領は多くの人に恨まれ、彼が米軍に捕まった時には歓声が上がったという。
当然、フセイン大統領に復讐をしようと、懐にナイフを忍ばせていた者も、多数いた事だろう。
‥‥カリフォルニア州で、報復テロが起きない事を、ただ祈るのみである。
そしてそれ以上に、このような文化的な訴訟の巻き添えを食って、人間的な生活を奪われる人が増えないように、
祈っている次第であります。
☆ 参考リンク
この文章は、私の個人的な見解のみで書かれた文章です。
そしてこれは、意見といった大層なものではなく、ただの感情の羅列である事を、ここに明記しておきます。
2004年2月1日一部修正。