The rice cake

                  TCT

 ついにこの季節がやってきた。
 彼が心待ちにしていた季節。
 めいいっぱい、あれを食べれる季節。
 師走の忙しさで、彼の身体はかなり疲れていたはずなのだが、それとは反対に、彼の心は躍っていた。
 仕事帰り、杉村俊樹は、ためしにスーパーマーケットに寄ってみた。
 もう十二月だ。そろそろ売っているだろう。

 思っていた通りだった。
 そこには「年末セール」と称して、大量のおもちが売られていたのだ。
‥‥おもちが、いっぱい‥‥‥
 彼の心は、踊った。ついにスーパーが、おもちを大々的に売りだしたのだ。
‥‥これだけおもちがあれば、なんでもできるな‥‥
‥‥磯部焼き、きなこもち、醤油焼き‥‥ああ、考えるだけでたまらなくなってきた‥‥‥
 そう、彼は稀にみる、大のおもち好きだった。
 もしも彼が一年分のおもちを手に入れたら、彼はおそらく一ヶ月で食べ尽くしてしまうだろう。
 それほど、彼のおもち好きは、すごいものだった。
 しかし、世の中、そうはうまくいかないものである。
 たしかに彼はおもち好きで、毎日食べても飽き足らないというほどであったが、彼の家族は違った。
 子供の頃から、彼はおもちをねだっていたが、彼の母や姉妹にとっては、そんな物を毎日食べるわけにはいかなかった。
 特に彼の妹は、大のおもち嫌いで(それは俊樹が妹におもちを食べさせすぎたのが原因なのだが)、見るのも嫌という、全くもって正反対な性格だった。
 そういうわけで、彼はおもち好きにも関わらず、あまりおもちを食べることができなかった。
 せめて、彼の妹がおもち嫌いでなければ、おもちが食卓に並ぶことがあったのかもしれないが、妹のワガママのため、おもちが食卓に並ぶことは、ほとんど無かった。そう、あの時期を除いては。

 俊樹の結婚が決まったとき、何よりもそれを喜んだのは、俊樹自身であった。
 そう、結婚すれば、あのおもち嫌いの妹とも離れて暮らすことになるし、何よりも自分は亭主である。もしかしたら夕食の献立を決めることができるかもしれない。
 しかし、やはりそうはいかなかった。
 彼の妻、ケイの家では、もともとおもちを食べる習慣が無かった。それでおもちを好きになってくれれば良かったのだが、彼女はおもちを、あまりおいしいとは思わなかった。
(特にひどかったのが、彼女の感想。「ガムみたい。」なんじゃそりゃ。)
 というわけで、やはり彼が所帯を持っても、食卓におもちが並ぶことは無かった。いや、それ以前に、近所のスーパーでは、おもちなんて物を売っていなかったので、食卓に並びようがなかった、というのもあるだろう。

 しかし、今年は違った。
 彼は、おもちを売っている店の近くに引っ越したのだ。
 そして、さらに嬉しいことに、三歳になった娘のミカが、おもちに興味を示しはじめたのだ。
 そして時期は師走。たいてい、どこのスーパーでも、おもちを大々的に売り出す。そして一月になれば、当然のように、お雑煮におもちが入るのだ。
 子供の頃から、正月だけが楽しみであった。
 さすがのおもち嫌いの妹も、この時ばかりはおとなしかったし、結婚してからも、お正月だけは、わざわざ遠くまで行って、高いおもちを買ってきたものだった。

「ただいま。」
 彼は、近所のスーパーの袋を持って、家に帰ってきた。
 当然、袋の中身はおもちである。それもサトウの。
「トシキ、またおもち買ってきたの?」
「そうだよ。いいだろう? もうすぐ正月なんだから。」
「もう、あんな白いガムの、どこがいいのかしら?」
‥‥相変わらず日本の心を理解しない奴である。
「まあいいじゃないか。おーい、ミカ、おもち買ってきたぞー。」
 俊樹は、唯一の味方である長女のミカに声を掛ける。
 どうやらミカだけは、彼の「おもち好き」の血を受け継いでくれたらしい。まことに喜ばしいことである。
「よし、ケイ、今晩はおでんにしようぜ。」
「はいはい。仕方ないわね。でも、あまりミカにおもち、食べさせすぎないでね。」
「ああ。」

 次の日の夕方。
 今日も俊樹は、帰り途についていた。
 さすがに二日連続でおもちを買ってくるとケイが怒るので、今日はそのまままっすぐ家に帰ることにする。
 いつしか街は、色とりどりのイルミネーションに包まれていた。そういえばもうすぐ、クリスマスである。
 もっとも、向こうに比べれば、その規模は小さなものだが、それでもこの季節になると、街ではクリスマスに浮かれ始める。
「神の国」のくせに。

 俊樹はふと、街の一角にある、古い小屋のような物に目を留めていた。
 はじめは何だろうかと思ったが、彼はすぐにその正体に気付いた。
 虫眼鏡を持った老人が、水晶玉の前でタロットカードを切っている・・・・占い師だ。
 あまり流行っていないのだろう、客の姿は無かった。
 まあ、当たり前か。第一、あんな暗い場所に出店するからだ。占いは暗い方が雰囲気が出ると言うが、あんな所じゃ、暗すぎて不気味だ。それに、虫眼鏡に水晶にタロットに‥‥一体、いくつの占いを組み合わせているのやら‥‥インチキ丸出しである。
 俊樹がそんな事を考えていると、不意にその老人と目が合っていた。
 ‥‥‥‥。
 その瞬間、彼は何かに取り憑かれた。

「おや、いらっしゃい。」
 俊樹は、その占い師の前に座っていた。
 この老人の眼を見た瞬間、ほとんど無意識のうちに足が動き、ここに座っていたのだった。
 もしかしたらこの老人、催眠術師かもしれない。
 それはともかく、こんな所に座ってしまった以上、彼は老人に金を払わないわけにはいかなかった。
「久々の客じゃ。いや大丈夫。ワシの占いは、一〇〇%当たるからな。」
 ‥‥ほんまかいな。
「では、始めるぞ。」
 そう言うと老人は、懐からトランプを取り出すと、気合いを入れて切りはじめた。
 ‥‥って、さっきのタロットは何だったんだよ‥‥

「‥‥‥ふぅ‥‥‥‥」
 俊樹は、ため息をつきながら、家に帰っていた。
‥‥もう餅がたべられなくなるって、どういう事なんだよ‥‥
 本当にさっきの占い師はすごかった。
 俊樹の過去や好物まで言い当て、さらには俊樹の誕生日まで当てやがったのだ。
 しかし、その後の言葉が問題だった。
「お主‥‥正月を楽しみにしてるところ、まことに申し訳ないのじゃが、お主はもう二度と、餅は食べられん。」
‥‥えっ?
「信じられなくなるのも無理は無かろう。しかし、このカードを見てみなされ、スペードのクイーンじゃ。こいつは『さすらいのクイーン』と言ってのう、たいてい旅立ちや転勤を意味しとる。」
‥‥って、月のたまごじゃないんだから‥‥
「そして、ハートの6が一緒に出とる。それは好きな食べ物を意味しとる。だからお主は、好きな食べ物から旅立たねばならんのじゃよ。」
‥‥聞いたこと無いぞ、そんな話。
 
‥‥ふぅ。
 俊樹は、再びため息を付いた。
‥‥もうおもちが食べられなくなるなんて、俺は一体、何を楽しみに生きていけばいいんだよ‥‥
‥‥おもちだけが俺の生き甲斐だったというのに‥‥
(↑そうだったのかい。)
‥‥まあ、ああいう占いだって、たまには外れるからな‥‥
 たぶん誕生日を当てたのも、何か仕掛けがあったのだろう。
 なんとも都合の良い解釈であるが、そう考えるしかなかった。
‥‥よし、あんな占いのことなんか忘れて、早く家に帰ってしまおう。それがいい。

「ただいま。」
「あら、早かったね。さあ、今日はハンバーグよ。」
 いつも通り、妻のケイと娘のミカが出迎えてくれた。
「それと、昨日のおもち、まだ残ってたから、あなたの好きな磯部焼きにしたよ。」
‥‥うわぁ、嬉しい‥‥さすがケイ、俺の大好物を出してくれるとは。
「よし、食べるぞ!」
 そう言うと俊樹は、妙に張り切って、食卓の席に着いた。

10

「いただきます!」
 いつも通りに食事前の挨拶を済ませると、私は早速、磯部焼きにかぶり付いた。
 おもちはだいぶ余っていたらしく、三個はある。
−うーん、これぞ最高の味!
 彼は、もう幸せいっぱいであった。と同時に、ケイもその顔を見て、幸せな顔をする。彼女にとっては、夫の至福の表情が何よりも嬉しいのである。
 しかし、次の瞬間、その顔が変わった。
!!
 俊樹の顔が、急に青ざめた。
 おもちをノドに詰めたのか‥‥だとしたら、シャレにならない話である。大のおもち好きが、おもちをノドに詰めて死ぬなんて。
‥‥‥ドサッ!
 俊樹が椅子から転げ落ちる。
「トシキ!」
 ケイが必死で俊樹を介抱する。ミカも駆け寄ってきた。
「ケイ‥‥‥」
 俊樹は、なんとか細い声を出す。・・・・声? 息ができるのか?
 しかしその声は、俊樹の口から吐き出された鮮血によって、すぐに消されてしまった。
「トシキ‥‥‥」
 ケイは、すぐに原因に思い当たった。
 まだ三ヶ月は生きられると言っていたのに‥‥そのためにわざわざ、日本にやってきたというのに‥‥はるか英国から。
「トシキ!!
 ケイは必死で叫ぶが、俊樹はそのままぐったりとして動かなかった。どうやら彼の胃ガンは、思った以上に進行していたらしい。
「トシキ‥‥‥Oh No!!
 妻のKeiが叫ぶ中、俊樹は薄れゆく意識の中で、あの占い師のことを考えていた。
‥‥あいつ、俺の腹痛のことまで知っていやがったのか‥‥
 最近、どうも腹痛が頻繁に起こっていた。
 イギリスの医者は、ただの胃潰瘍だと言っていたが‥‥どうやら、そんな甘い病気ではなかったらしい。
 それさえも、あの占い師は見抜いていたというのか。
 そして今、俊樹に近付いているのは、おもちのある「この世」からの旅立ち‥‥‥
‥‥ちきしょう。餅を食べながら、家族に看取られて死ぬのは本望だが‥‥俺は‥‥まだ死ぬたくねぇぞ‥‥‥

11

 その数日後、杉村邸で盛大な葬儀が行われたのは、言うまでもない。

 

−了


メニューに戻る