裏論文。

最終更新日:2005年08月24日

 ここは、社会に対して感じたことを、適当に書いていく場所です。
 素で問題発言とかするかもしれませんが、ここはそういう場所ということで・・・・・ご容赦願います。


<12月14日>日曜日  嫌われ者を分析してみる。

 誰でも1人ぐらいは、「気に食わない奴」「嫌いな奴」というのが居るに違いない。

 その中でも、特に多くの人から嫌われている人、つまり嫌われ者という人種がいる。
 ここでは、その嫌われ者について考えてみようと思う。 
 
 なぜ、そんなに嫌われているのか? その原因は、些細なものから致命的なものまで、様々である。
 しかし、その原因も、追求していくと、結構面白いものだと思う。
 
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 まず1つ目。致命的なもの。
 「常に暴力を振るう」「罵倒壁がある」といった、たいていの人には嫌われるタイプである。というか、いつ逮捕されたり殺されたりしても
 おかしくないような人である。
 
 じつは僕は、過去に1人、そういう人に会ったことがある。
 派遣バイトで行った、某引っ越し屋の人間なのだが、バイトを蹴るのは日常茶飯事。極端に重いモノをわざと持たせるし、すぐキレる。
 トラックの運転も滅茶苦茶で、大音量で浜崎あゆみ(!)の曲を流しながら、周りの車を煽りまくって、果てにはケンカまで吹っかける。
 まさにトンでもない人間である。
 
 ‥‥それでも、気を許した相手(つまりは同僚とか)とは要領よくやっているらしく、そのお陰で、あんな性格にも関わらず、
 全ての人から嫌われているというわけではないようだ。
 最後に顔を合わせてから1年半ほど経つが、今ごろどうしているのだろうか?
 
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 さて、結論から言うと、そういう人がいるのは仕方がない事だと思う。
 どんな環境で育ってきたのかは知らないが、実際に、そういう人間が育ってしまったのは、まぎれもない事実であり、現実である。
 育ってしまったものは仕方がないので、けなしても意味がない。
 
 問題は、そういう人間と、どう関わるべきかである。
 
 別に、消えろとは思わない。生きているものは仕方がないし、たとえ暴力魔でも、仕事は立派にこなすし、人を楽しませる事もそれなりに
 するのであろう。
 なので、百害あって一利なしとは言えない。よって、生きる価値なしとは思わない。
 
 もっとも、それは今まで、傷を負った人間が居ないから言えることであって、もしもその人によって死者が出たり、半身不随になる人が
 出てきたりしたら、さすがに牢の中にでも消えるべきだと思うが(汗
 
 まあ、今となっては良い思い出である。
 
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 2つ目、犯罪者。
 犯罪と言っても、万引きから強盗、殺人まで色々あるが、まあ、宅間守や酒鬼薔薇レベルで考えていただければ差し支えない。
 
 もちろんの事だが、ほとんどの犯罪者は嫌われ者である。
 宅間守など、生きていても「利」より「害」の方が遥かに多いし、麻原彰晃にしても、ただの自己中である。
 些細な事でサリンを撒き散らすのだから、どうしようもない。
 やはりどんな人生を送ってきたのかは知らないが、成長した結果、他人に相当な害をなす人間になってしまったのだから、
 これはもう、弁明の余地はない。再犯の可能性も十分にあるので、さっさと刑務所なり絞首台などに行った方が良いと思う。
 
 問題は未成年のように、良識が育っていない、もしくはこれから育つ場合の人間である。
 万引き魔でも、数年経てば、それなりに一般人になっている。
 だから、殺人魔でも、普通に数年過ごせば、それなりの人間にはなれるはずだと、僕は思う。
 実際、高校時代にヤバい事を書き続けてきた僕自身でさえ、今はだいぶ落ち着いている。
 
 だから、個人的には、今の少年法の「保護観察処分」というのには賛成である。
 もっとも、少年院で社会性が育めるものなのか、その辺は少し疑問だが。
 
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 少し話がそれてしまった。
 3つ目、ならず者。(DQNと書いた方が分かりやすい人もいるかもしれないw)
 
 平気で地面に座り込んだり、唾を吐いたり、ゴミを捨てたりする人間である。
 これはもはや、嫌われ者とは言えまい。
 約半数の人間(例えば、公共広告機構とか)からは非常に嫌われているかもしれないが、これが今の日本の「一般人」である。
 それに、そもそも根本的な思考回路が違うのだから、どうしようもない。
 
 「ゴミを捨てても自分は損をしないし、唾を吐いても自分が困ることはない。
 他人のことなど考えるのは馬鹿であり、自分と自分の好きな人間さえ良ければ、何も問題はない。」 
 
 本気でそう考えている、というか、小さい頃から、そういうサバイバルな生き方が身に付いてしまっているので、今更どうしようも無いのである。
 現代日本は、サバイバルである。
 生きるか死ぬか。敵か味方か。‥‥残念ながら、そういう価値観が身に付かざるを得ないほど、社会は危険な場所なのである。
 その結果、自己中がどんどん生み出され、自己中の社会が広がっていくのである。
 
 さて、そういう人間がたくさん生み出されていくのは仕方がない。そうなってしまった社会を恨んでも何も進まない。
 やはり、そういう状況に対して、どう対処していくかが重要だと思う。
 
 個人的には、別にそういう社会でも、うまくやっていけるんじゃないかと思う。
 たとえ自己中の社会になったとしても、100%の自己中は生きていけないからである。
 やはり、何らかの良識が必要なのである。(さもないと孤立するため。)
 よって、たとえ日本国民全員に、その自己中な考え方が浸透してしまっても、社会が崩壊することはあり得ない。
 
 したがって、これは憂慮すべき事態ではない。
 
 重要なのは、価値観が違う人間をあっさりと受け容れ、無闇に嫌わない事だと思う。
 例えば、オタクには「固い」人間が多いようだが、それでは孤立してしまう。
 よく、オタが女子高生を蔑んでいる書き込みを見かけるが、それが典型である。
 アイロニーの遊びとして皮肉るのならまだしも、見下しているのは論外である。目糞鼻糞を笑う、どんぐりの背比べ。
 場合によっては、スッポンが月を莫迦にしているようなもの。
 
 そういう見下した目で見られて、良い思いをする人間は、ほとんど居ないだろう。
 その人の前でだけ、見下していないように装っても、いずれ言動でバレる。
 そういう目でしか他人を見れないような体質のままでは、やはり生きていけないと思う。
 
 いくら、俗に言う「馬鹿っぽい」格好をしている人間でも、している事は立派だったり、仕事がすごくできたり、他人の面倒見が良かったりと、
 良いところはいくらでもある。
 先ほどの、「暴力魔でも、生きる価値がある」という理屈と同じである。
 
 このように、無闇に他人の悪いところばかり見ずに、その人の良いところだけを見るようにしていくべきだと思う。
 そうすれば、自然と「気にくわない奴」「嫌いな奴」の数も減り、そして理解も広まり、人間的にも成長していけると思う。
 そして、色々と貴重な体験や話もでき、どんどん立派になっていけるんじゃないかと思う。
 
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 なんだか、妙に話がそれてしまったが、僕の思考回路は、まさに上記の通りであり、それが(悪筆ながら)書けたので、
 まあ良しとしようと思う。
 
 それでは。


- もくじ -

<12月14日>日曜日  嫌われ者を分析してみる。
<9月25日>木曜日  フェチの心境。
<8月23日>土曜日  24時間テレビ。
<2003年7月27日>日曜日  神と被害者。
<2001年12月10日>月曜日  ロバミミな話。
<7月25日>水曜日  危険なネタ
<7月21日>土曜日  流行について(言葉遊び☆)
<3月7日>水曜日  不発弾
<1月8日>月曜日  成人式是正論
<11月9日>木曜日  変人擁護論
<10月12日>木曜日  TBSの、某「見たくない番組」について
<8月22日> ※車内での携帯電話の使用は、できるだけ控えましょう。仕事の電話は仕方ないけど。
<問題>2000/06/20(TUE) TVドラマに関するクイズです。
<5月29日> 警察崩壊。
<問題>2000/05/23(TUE) 大学で学べる語学についてのクエスチョンです。

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